本日のお題は「カレーは飲み物か、飲み物ではないか」。矛(肯定)と盾(否定)が今日も譲りません。
現在、盾が14連勝中。
目次
口上
盾
カレーは飲み物ではありません。飲み物とは、口に含んで咀嚼を必要とせず喉を通るものを指しますが、カレーには具材があり、食べるという行為が前提になっています。「飲めるほど好き」という熱量ある表現を文字通りに受け取るのは、比喩と事実の混同というものです。好きだから飲み物、とはならないのが言葉の筋道だと思います。
カレーは飲み物ではありません。飲み物とは、口に含んで咀嚼を必要とせず喉を通るものを指しますが、カレーには具材があり、食べるという行為が前提になっています。「飲めるほど好き」という熱量ある表現を文字通りに受け取るのは、比喩と事実の混同というものです。好きだから飲み物、とはならないのが言葉の筋道だと思います。


矛
確かに辞書的な定義で言えば、カレーは飲み物の枠に収まらないかもしれません。でも、具材を取り除いたカレーのルーそのものは、喉をつるりと通りますよね。「飲める状態にできる」ということは、飲み物としての可能性を持っているということだと思うんです。比喩と事実の境界線も、実はカレーの粘度くらい曖昧なものじゃないでしょうか。「飲み物かどうか」を固定した定義で語るより、カレーの懐の深さを楽しむほうが、なんだか豊かな気がします。
確かに辞書的な定義で言えば、カレーは飲み物の枠に収まらないかもしれません。でも、具材を取り除いたカレーのルーそのものは、喉をつるりと通りますよね。「飲める状態にできる」ということは、飲み物としての可能性を持っているということだと思うんです。比喩と事実の境界線も、実はカレーの粘度くらい曖昧なものじゃないでしょうか。「飲み物かどうか」を固定した定義で語るより、カレーの懐の深さを楽しむほうが、なんだか豊かな気がします。
応酬
盾
具材を取り除いてルーだけにしたものは、もはや「カレーのルーを飲んでいる」であって「カレーを飲んでいる」とは言いにくい気がします。形を変えなければ飲めないものを飲み物と呼ぶのは、少し無理のある優しさではないでしょうか。
具材を取り除いてルーだけにしたものは、もはや「カレーのルーを飲んでいる」であって「カレーを飲んでいる」とは言いにくい気がします。形を変えなければ飲めないものを飲み物と呼ぶのは、少し無理のある優しさではないでしょうか。


矛
「形を変えなければ飲み物じゃない」という論理なら、熱すぎるコーヒーも冷やさなければ飲めないし、固まったゼラチンも温めなければ飲めない。でも私たちはそれを「飲み物だ」と疑いませんよね。「そのままでは飲めない」は、飲み物かどうかの決め手にはならないと思うんです。
「形を変えなければ飲み物じゃない」という論理なら、熱すぎるコーヒーも冷やさなければ飲めないし、固まったゼラチンも温めなければ飲めない。でも私たちはそれを「飲み物だ」と疑いませんよね。「そのままでは飲めない」は、飲み物かどうかの決め手にはならないと思うんです。
盾
コーヒーやゼラチンは、温度を調整するだけで本来の姿のまま飲める点で、具材を取り除くというカレーの「変形」とは少し性質が違うように思います。変わるのが「状態」か「構成」かで、話の筋道も変わってくるのではないでしょうか。
コーヒーやゼラチンは、温度を調整するだけで本来の姿のまま飲める点で、具材を取り除くというカレーの「変形」とは少し性質が違うように思います。変わるのが「状態」か「構成」かで、話の筋道も変わってくるのではないでしょうか。


矛
「状態の変化」と「構成の変化」を分けるのは鋭い見方だと思いますが、では具材の少ないサラサラのスープカレーはどうでしょう?そのままごくごく飲めるカレーが存在する以上、カレーというジャンル全体に「飲み物の可能性」は確かにあると言えるんじゃないでしょうか。
「状態の変化」と「構成の変化」を分けるのは鋭い見方だと思いますが、では具材の少ないサラサラのスープカレーはどうでしょう?そのままごくごく飲めるカレーが存在する以上、カレーというジャンル全体に「飲み物の可能性」は確かにあると言えるんじゃないでしょうか。
そのままごくごく飲めるカレーが存在する以上、カレーというジャンル全体に「飲み物の可能性」は確かにある
審判の裁定
矛
VS
盾
矛 71 ― 79 盾
盾の勝ち
盾は「定義」と「構成vs状態」の区別で堅実に守ったが、矛はコーヒー・ゼラチン・スープカレーと具体例を重ねて定義の揺らぎを攻め続けた。特にスープカレーの反例は盾の「構成変化」論を突き崩す有効打で、論の展開力で矛が上回った。
審判より:スープカレーという伏兵、盾には刺さりすぎた。
あなたはどっち派?

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