今日は人に合わせすぎた日の話

今日は、気づけば自分の意見よりも、周りの空気を優先している場面がいくつかありました。

強く求められたわけではありません。
誰かに圧力をかけられたわけでもない。
それでも、自分の中で自然と調整が入っていました。

言いかけた言葉を、少しだけ丸くする。
本当は違うと思ったことを、深く追わない。
波が立たない方を選ぶ。

その瞬間は、それが一番穏やかな選択に見えます。
場も壊れないし、関係も乱れない。

でも、一日が終わったとき、少しだけ自分が薄くなったような感覚が残ることがあります。

「本当はどう思っていたんだっけ」
そんな問いが、後から静かに浮かびます。

人に合わせること自体は、悪いことではありません。
社会は調整の連続で成り立っています。
互いに少しずつ形を変えることで、摩擦を減らしています。

問題になるのは、合わせたという事実よりも、自分の感覚を完全に消してしまうことかもしれません。

今日は、合わせた。
でも、自分の中で「合わせた」とちゃんと気づいている。

それだけで、完全に消えたわけではありません。

合わせすぎた日の違和感は、自分の輪郭がまだある証拠です。
何も感じなくなったわけではない。

今日は、人に合わせすぎた一日だった。
それで、自分がなくなったわけではありません。

合わせる日も、合わせない日もあります。

今日は、そういう日だった。
それだけの話です。

タイトルとURLをコピーしました